データ活用による金融機関の与信判断高度化と不良債権率・承認率改善事例
はじめに
金融機関における与信判断は、事業の健全性を維持しつつ収益を最大化するための極めて重要なプロセスです。従来の与信判断は、担当者の経験や定性的な情報に依存する部分が大きく、判断基準のばらつきや非効率性が課題となる場合が見られます。本記事では、データドリブンなアプローチによって与信判断プロセスを高度化し、不良債権率の抑制と承認率の改善という両立が難しい目標を達成した金融機関の事例を紹介します。
事例概要
本事例の対象は、個人および中小企業向け融資を主に取り扱う中堅規模の地方銀行です。長年にわたり地域経済に貢献してきた実績がありますが、近年の競争激化と低金利環境下において、リスク管理を徹底しながら収益機会を拡大することが喫緊の課題となっていました。
直面していた課題
本銀行がデータ活用に取り組む以前、与信判断プロセスにおいては以下の課題を抱えていました。
- 判断基準の属人化: 担当者ごとの経験や勘に依存する部分があり、判断基準の均一性が担保されていませんでした。これにより、本来融資可能な顧客を取りこぼしたり、逆にリスクの高い顧客に融資を実行したりする可能性がありました。
- 審査プロセスの非効率性: 必要な情報の収集・分析に時間を要し、融資実行までのリードタイムが長いことが顧客満足度の低下を招く要因となっていました。
- 不良債権率の管理: 地域経済の変動リスクや個別顧客のリスクを正確に評価しきれず、一定の不良債権率を抱えている状況でした。これを抑制しつつ、融資量を増やすための高度なリスク評価手法が求められていました。
- 収益機会の損失: リスクを過大評価することにより、優良な顧客の申し込みを不承認としてしまう「機会損失」が発生している可能性がありました。
データドリブンなアプローチと具体的な取り組み
これらの課題に対し、本銀行はデータドリブンな与信判断プロセスの構築を決断しました。具体的な取り組みは以下の通りです。
- データ統合基盤の構築: 顧客属性情報、過去の取引履歴、外部信用情報機関からのデータ、地域経済指標など、与信判断に必要なあらゆるデータを収集・統合するためのデータ基盤(データウェアハウス)を構築しました。
- リスク予測モデルの開発: 統合されたデータに基づき、顧客の債務不履行リスクや返済能力を予測するための機械学習モデルを開発しました。過去の融資実績データ(延滞、デフォルトなどの結果を含む)を教師データとして利用し、複数の機械学習アルゴリズム(例: ロジスティック回帰、勾配ブースティングモデル)を比較検討し、予測精度と説明性のバランスが良いモデルを選択しました。
- 自動スコアリングシステムの導入: 開発した予測モデルを組み込んだ自動スコアリングシステムを導入しました。これにより、申し込みデータ入力後、顧客のリスクスコアが自動的に算出されるようになりました。
- 審査プロセスの見直し: 自動スコアリング結果に基づき、審査プロセスを最適化しました。リスクスコアが一定基準よりも低い申し込みについては自動承認のパスウェイを設け、中間的なリスクスコアの申し込みは担当者が詳細に審査し、高リスクの申し込みについては慎重な検討を行うといった、リスクに応じた段階的な審査フローを設計しました。
- モデルの継続的なモニタリングと改善: 導入したモデルの予測精度を定期的にモニタリングし、必要に応じてデータの再学習やモデルのチューニングを行う運用体制を構築しました。
導入したデータ技術や分析手法
本事例で活用された主なデータ技術および分析手法は以下の通りです。
- データ基盤: クラウドベースのデータウェアハウス、ETLツール
- データソース: 顧客管理システム、勘定系システム、外部信用情報機関、公的機関データ(地域統計など)
- 分析手法: 機械学習(教師あり学習)、分類モデル(ロジスティック回帰、勾配ブースティング)、モデル評価指標(AUC, 精度, リコール, F1スコア)、説明可能なAI(SHAP, LIMEなど、モデルの判断根拠を提示するために活用)
- 使用ツール: Python/R(データ分析、モデル開発)、SQL(データ抽出)、BIツール(結果可視化、ダッシュボード作成)
データ活用によって得られた具体的な成果・効果
データドリブンな与信判断プロセスの導入により、本銀行は以下のような具体的な成果を達成しました。
- 不良債権率の低下: 導入から1年後には、全体の不良債権率を従来の5.0%から3.5%へ、約30%削減することに成功しました。これは、より正確なリスク評価によって、リスクの高い顧客への融資を抑制できた効果によるものです。
- 承認率の向上: リスクを過大評価することなく、適切なリスクレベルの顧客を判別できるようになった結果、全体の融資承認率が従来の60%から65%へ、約8%向上しました。リスクコントロールを維持しつつ、収益機会を拡大することが実現しました。
- 審査時間の短縮: 自動スコアリングと効率化された審査フローにより、申し込みから審査完了までの平均リードタイムを従来の約5営業日から約2営業日へ、約60%短縮しました。これは顧客満足度向上に大きく貢献しました。
- 審査コストの削減: 審査業務の一部自動化と効率化により、審査にかかる人的コストを約15%削減しました。
- 収益性の改善: 不良債権率の低下と融資実行件数の増加により、融資ポートフォリオ全体の純金利収益が約10%増加し、ROE(自己資本利益率)の改善にも寄与しました。
これらの成果は、単に業務効率を改善しただけでなく、リスク管理を強化しつつ収益拡大を実現するという、金融機関にとって核心的な目標達成に大きく貢献するものでした。
成功の要因分析
本事例におけるデータ活用の成功要因は複数考えられます。
- 経営層の強いリーダーシップと理解: データ活用の重要性を経営層が深く理解し、必要な投資と組織変更にコミットしたことが、プロジェクト推進の強力な推進力となりました。
- ビジネス部門と技術部門の連携: リスク管理、審査部門といったビジネスサイドがデータ分析チームと密に連携し、現場の知見とデータ分析の結果を組み合わせることで、実践的で精度の高いモデルを構築できました。
- 段階的な導入と現場への丁寧な浸透: 最初から全てを自動化するのではなく、リスクスコアを参考にしながら担当者が最終判断を行うハイブリッド方式を採用したこと、そしてモデルの判断根拠を説明可能にする取り組みを行ったことが、現場担当者のシステムに対する信頼と受け入れを促進しました。
- 専門人材の確保と育成: データサイエンティストやデータエンジニアといった専門人材を採用・育成し、高度な分析とシステム構築を内製できたことが、継続的な改善を可能にしました。
- 継続的なモニタリングと改善プロセス: 導入後もモデルのパフォーマンスを継続的に評価し、市場環境や新しいデータを取り込んでモデルを更新する運用体制を構築したことが、成果の維持・向上につながりました。
結論・教訓
本事例は、金融機関における与信判断という高度な専門性が求められる領域においても、データドリブンなアプローチが極めて有効であることを示しています。単にリスクを回避するだけでなく、データに基づいた精緻な評価を行うことで、不良債権率を抑制しながらも、隠れた優良顧客を発見し、融資機会を拡大することが可能です。これは、データ活用がリスク管理と収益拡大という、時に相反する目標を同時に達成するための強力なツールとなりうることを示唆しています。
今後の展望
本銀行では、今回の成功を足がかりに、データ活用の範囲をさらに拡大する計画です。例えば、法人融資におけるより複雑なリスク評価モデルの開発、カードローンや住宅ローンといった他の融資商品への適用拡大、さらにリアルタイムでの与信判断システムの構築などが検討されています。また、不正申し込みの検知や、既存顧客に対するクロスセル・アップセル提案のためのデータ活用なども視野に入っており、データドリブン経営への転換をさらに加速させていく見込みです。本事例は、金融機関のみならず、リスク評価や意思決定が重要となるあらゆる業界にとって、データ活用が競争優位性を築くための鍵となることを示唆しています。