製造業における設備予知保全のデータ活用事例と定量成果
はじめに
製造業において、生産設備の安定稼働は事業継続および生産性向上の中核をなす要素です。しかし、突発的な設備故障は生産ラインの停止を招き、大きな機会損失やコスト増加の原因となります。こうした課題に対し、近年注目されているのが、データに基づき設備の異常を予測し、計画的なメンテナンスを行う「予知保全(Predictive Maintenance)」です。
本稿では、大手精密機器メーカーがデータドリブンな予知保全アプローチを導入し、設備稼働率の向上とメンテナンスコストの最適化という具体的な成果を達成した事例をご紹介します。データ活用のプロセス、導入技術、そして得られた定量的な効果に焦点を当て、読者の皆様のデータ活用戦略策定の一助となる情報を提供いたします。
事例概要
本事例の対象企業は、高精度な電子部品を多品種少量で生産する大手精密機器メーカーです。複数の工場に多数の生産設備を有し、24時間体制で稼働させています。
直面していた課題
同社は従来、時間や稼働時間に基づく定期保全、あるいは故障発生後の事後保全を中心にメンテナンスを実施していました。この方式には、以下のような課題がありました。
- 過剰または過小なメンテナンス: 定期保全では、設備の実際の状態に関わらず一定期間でメンテナンスを行うため、まだ必要ない設備に過剰なコストや時間を費やしたり、逆にメンテナンス時期が来る前に故障が発生したりするリスクがありました。
- 突発停止による生産ロス: 設備の突然の故障は、生産ライン全体の停止を引き起こし、納期遅延や機会損失、緊急対応のための追加コストを発生させていました。特に多品種少量生産においては、柔軟なライン変更が難しく、停止の影響が大きい傾向にありました。
- メンテナンスコストの増大: 事後保全では、故障箇所だけでなく周辺部品にも影響が出ている場合があり、修理規模が大きくなりがちでした。また、緊急対応のための割増料金や、部品の緊急手配コストも無視できませんでした。
- 熟練技術者への依存: 設備の異常検知や原因特定が、一部の熟練技術者の経験や勘に依存しており、知見の継承や属人化解消が課題となっていました。
これらの課題は、同社の生産効率、コスト競争力、そして収益性に大きな影響を与えていました。
データドリブンなアプローチと具体的な取り組み
同社はこれらの課題解決のため、データに基づいた予知保全への移行を決断しました。アプローチの概要と具体的な取り組みは以下の通りです。
- 目的とKPIの設定: 予知保全導入の目的を「設備稼働率の向上」と「メンテナンスコストの最適化」とし、具体的なKPIとして「突発停止回数の削減率」「設備稼働率の向上率」「メンテナンスコストの削減率」を設定しました。
- データ収集基盤の構築: 主要な生産設備に各種センサー(振動センサー、温度センサー、電流センサーなど)を新たに設置。これらのセンサーデータに加え、既存のPLCデータ、設備エラーログ、過去の故障履歴、メンテナンス記録、生産実績データなどを一元的に収集・蓄積するプラットフォームを構築しました。
- 予知保全モデルの開発: 収集した多様なデータを統合し、機械学習を用いた予知保全モデルを開発しました。
- 過去の故障データを教師データとして利用し、センサーデータや稼働状況から将来の故障発生確率や残り寿命を予測するモデル(例: 故障分類モデル、回帰モデル)を構築。
- 設備の正常時のデータパターンを学習し、リアルタイムのデータとの乖離から異常の予兆を検知する外れ値検知モデルや時系列異常検知モデルも併用しました。
- 予測結果に基づいたメンテナンス計画の最適化: 予知保全モデルの予測結果に基づき、設備の健康状態をスコアリングし、メンテナンスが必要となる可能性の高い設備を特定。故障が発生する前に計画的な停止とメンテナンスを行うように、メンテナンススケジュールを動的に最適化しました。BIツールを用いて設備の健康状態や予測アラートを可視化し、メンテナンス担当者や生産管理者が容易に状況を把握できるようにしました。
- 現場との連携とフィードバック: モデルの予測結果を現場のメンテナンス担当者やオペレーターと共有し、実際の点検結果や対応状況をフィードバックとしてモデルの改善に活用しました。
導入したデータ技術や分析手法
- データ収集: IoTゲートウェイ、データレイク/データウェアハウス
- データ処理・分析: Python, Rなどのプログラミング言語、Apache Spark, Apache Flinkなどの分散処理フレームワーク
- 分析手法: 時系列データ分析、特徴量エンジニアリング、機械学習アルゴリズム(例: サポートベクターマシン, Random Forest, Gradient Boosting, LSTMなど)、異常検知アルゴリズム(例: Isolation Forest, Autoencoderなど)
- 可視化: BIツール(例: Tableau, Power BI)
データ活用によって得られた具体的な成果・効果
データドリブンな予知保全の導入により、同社は以下のような目覚ましい成果を達成しました。
- 突発的な設備停止回数: 年間で約50%削減
- 設備稼働率: 平均で5ポイント向上
- 計画外停止による生産ロス(機会損失): 年間数億円規模の削減
- メンテナンスコスト: 全体で約20%削減(過剰保全の削減、事後対応の減少による)
- ROI: 導入後2年で約250%を達成
これらの成果は、単に技術を導入しただけでなく、データに基づいた意思決定プロセスを確立し、現場の運用と連携させた結果と言えます。
成功の要因分析
本事例の成功には、いくつかの要因が考えられます。
- 経営層の強いコミットメント: データ活用の重要性を理解し、予知保全プロジェクトに必要な投資と社内体制構築を強力に推進した経営層の存在が不可欠でした。
- 明確な目的とKPI設定: プロジェクトの開始段階で具体的なビジネス目標と定量的なKPIを設定したことで、取り組みの方向性が明確になり、成果測定が容易になりました。
- 部門横断チーム: 生産部門、保全部門、IT部門、データサイエンスチームが連携し、それぞれの知見を持ち寄ったことで、データ収集からモデル開発、現場での運用までを一貫して推進できました。
- 段階的な導入と継続的な改善: 全設備へ一度に導入するのではなく、重要度の高い設備から段階的に導入し、得られた知見を他の設備やモデル改善に活かすアプローチを採用しました。
- 現場との密接な連携: 開発されたモデルの予測結果を現場担当者が理解し、活用できるよう、可視化ツールの提供や継続的なトレーニングを実施。現場からのフィードバックをモデルやプロセスの改善に反映させたことが、実効性を高めました。
結論・教訓
この精密機器メーカーの事例は、製造業におけるデータドリブンな予知保全が、設備稼働率向上、コスト削減、そして収益性向上に極めて効果的であることを明確に示しています。重要な教訓は、データ活用は単なる技術導入ではなく、明確なビジネス目標設定、データに基づいた意思決定プロセスの構築、そして組織全体の連携が不可欠であるということです。特に、現場でデータ活用を定着させるための取り組みが、定量的な成果達成には欠かせません。
今後の展望
同社は今後、予知保全の対象設備を拡大するとともに、予測精度のさらなる向上を目指しています。また、予知保全で蓄積された設備データを、生産計画の最適化や品質管理データの分析と連携させることで、工場全体のオペレーション効率をさらに高めることを計画しています。データ活用は、単一の課題解決に留まらず、他の領域との連携により、ビジネス全体の変革を推進する可能性を秘めています。