都市インフラ維持管理データ分析による劣化予測と予防保全最適化成果
はじめに
老朽化が進む都市インフラの維持管理は、多くの自治体やインフラ管理主体にとって喫緊の課題です。限られた予算の中で、どのようにインフラの安全性と機能を維持し、コストを最適化していくかは、極めて重要な意思決定を伴います。従来の対症療法的な修繕から脱却し、データに基づいて劣化を予測し、最適なタイミングで予防的な保全を実施する「予防保全」への転換が求められています。
本記事では、ある自治体がどのようにデータドリブンなアプローチを用いて都市インフラの劣化予測を行い、予防保全計画を最適化することで、維持管理コストの削減とインフラの長寿命化という具体的な成果を達成した事例をご紹介します。
事例概要
本事例の主体は、多数の橋梁、トンネル、上下水道管などの公共インフラを管理する中規模の自治体です。これらのインフラは建設から数十年が経過し、老朽化が顕著になってきていました。管理対象となるインフラは数百キロメートルに及び、その点検・修繕計画の策定と実行は複雑化していました。
直面していた課題
この自治体がデータ活用に取り組む以前、直面していた主な課題は以下の通りでした。
- インフラの老朽化と維持管理費用の増大: 構造物の経年劣化が進み、突発的な故障や大規模な補修が必要となるケースが増加していました。これにより、年間維持管理費用が予算を圧過し始めていました。
- 点検データの非効率な管理と活用不足: 過去の点検記録は紙媒体や構造化されていないデジタルデータとして分散しており、横断的な分析や傾向把握が困難でした。このため、個別のインフラに対する修繕判断は、経験や勘に頼る部分が多く、全体最適な計画になっていませんでした。
- 予防保全への移行の遅れ: 劣化の兆候を早期に捉え、予防的な修繕を行うことの重要性は認識されていましたが、どのインフラをいつ、どのように修繕すべきかという科学的根拠に基づく計画が立案できていませんでした。結果として、症状が現れてから対処する対症療法的な修繕が中心となり、長期的なコスト増加とインフラ寿命の短縮を招いていました。
- 限られた予算と人員: 維持管理に割ける予算と専門人材は限られており、効率的かつ効果的な管理手法の導入が不可欠でした。
これらの課題は、住民サービスの低下、財政負担の増加、さらには安全性の懸念にも繋がるものであり、データに基づいた抜本的な対策が求められていました。
データドリブンなアプローチと具体的な取り組み
自治体はこれらの課題を解決するため、データドリブンなインフラ維持管理への転換を決断しました。そのアプローチと具体的な取り組みは以下の通りです。
- データ統合基盤の構築: まず、分散していた過去の点検データ(損傷の種類、程度、位置、点検年月日など)、構造物の基本情報(建設年、材質、構造など)、環境データ(気象データ、交通量など)、地理空間データ(GIS情報)などを一元的に収集・統合するためのデータ基盤を構築しました。
- 劣化予測モデルの開発: 統合されたデータを基に、各インフラタイプ(例:橋梁の構造形式別)ごとに劣化の進行を予測する機械学習モデルを開発しました。具体的には、過去の点検データにおける損傷の進行パターンと、構造物の特性や環境要因との関係性を分析し、将来の損傷状態を確率的に予測できるモデルを構築しました。時系列分析や回帰分析、分類モデルなどの手法が検討・適用されました。
- リスク評価と予防保全計画の最適化: 劣化予測の結果と、インフラの重要度(交通量、代替路の有無など)、修繕にかかるコストや緊急度などを組み合わせ、リスク評価を実施しました。このリスク評価に基づき、「どのインフラに対して」「いつ」「どのような修繕(軽微な補修か大規模な修繕かなど)」を行うのが全体として最も効果的かつコスト効率が良いかという予防保全計画を最適化しました。過去の修繕実績データやコストデータも活用し、将来の維持管理費用をシミュレーションしました。
- ダッシュボードによる可視化: 予測結果や計画の進捗状況、予算執行状況などを可視化するダッシュボードを開発しました。これにより、担当職員だけでなく、管理職や意思決定者もインフラ全体の状況やリスク、計画の効果を容易に把握できるようになりました。
これらの取り組みを通じて、経験や勘に頼る属人的な意思決定から脱却し、データに基づいた科学的かつ計画的なインフラ維持管理体制を確立しました。
導入したデータ技術や分析手法
本事例で活用された主なデータ技術や分析手法は以下の通りです。
- データソース: 過去の点検記録(非構造化データ含む)、インフラ台帳データ、センサーデータ(一部インフラ)、気象データ、交通量データ、修繕履歴・コストデータ、GISデータ
- データ統合: ETLツール、データウェアハウス(DWH)またはデータレイク
- 分析基盤: クラウドベースのデータ分析プラットフォーム
- 分析手法: 時系列データ分析、機械学習(回帰分析、分類、アンサンブル学習などを用いた劣化予測モデル)、統計分析、リスクモデリング
- ツール: Python, Rなどのプログラミング言語を用いた分析スクリプト、BIツール(Tableau, Power BIなど)を用いたダッシュボード開発、GISソフトウェアとの連携
専門用語について補足します。「GIS」は地理情報システム(Geographic Information System)の略で、地理的な位置情報に関連付けられたデータを管理・分析・可視化するためのシステムです。インフラの位置情報や点検結果を地図上に重ね合わせて表示する際に不可欠です。
データ活用によって得られた具体的な成果・効果
データドリブンなアプローチを導入した結果、この自治体は以下のような具体的な成果・効果を獲得しました。
- 維持管理コストの削減: 予防保全へのシフトにより、突発的な大規模修繕や緊急対応が減少し、年間維持管理費用が平均15%削減されました。特に、早期に軽微な補修を行うことで、将来的に必要となる大規模修繕の費用を30%以上抑制できる見込みとなりました。
- インフラの長寿命化: 最適なタイミングでの予防保全により、主要な構造物の耐用年数が平均10%延長される効果が見込まれています。これにより、将来的な更新コストの抑制に大きく貢献します。
- 緊急対応件数の減少: 劣化予測に基づく計画的な修繕により、構造物の急な破損や機能不全といった緊急対応が必要となるケースが年間30%減少しました。これにより、対応コストの削減と、職員の負担軽減が実現しました。
- 計画策定・点検リードタイムの短縮: データ基盤の整備と分析プロセスの効率化により、年間修繕計画の策定にかかる時間が約20%短縮されました。また、点検結果のデータ入力・分析プロセスも効率化されました。
- ROIの達成: データ活用システム導入にかかる初期投資額に対し、5年間での維持管理コスト削減効果を計算した結果、250%のROIを達成しました。これは、投資額の2.5倍に相当する経済的なリターンが得られたことを意味します。
これらの成果は、データに基づいた意思決定が、限られたリソースの中でインフラの安全性と機能を維持しつつ、経済的な効率性を大幅に向上させる強力な手段であることを示しています。
成功の要因分析
本事例が成功を収めた要因は複数考えられます。
- 明確な目的設定とコミットメント: 老朽化対策という喫緊の課題に対し、データ活用をその解決策の中心に据えるという明確な意思決定がなされ、組織全体で取り組む姿勢が確立されていました。
- 組織横断的な連携: 土木・建築の専門知識を持つ担当職員と、データ分析の専門家(データサイエンティストや分析ベンダー)が密接に連携し、互いの知見を組み合わせることで、実践的かつ精度の高い予測モデルと計画を構築できました。
- データの統合と品質向上: 分散・非構造化されていたデータを粘り強く収集・統合し、分析可能な形式に整備したことが基盤となりました。データ品質の確保に継続的に取り組んだことも重要な要素です。
- 段階的な導入と成果の可視化: 最初から全てのインフラを対象とするのではなく、一部のインフラタイプでスモールスタートし、成果を確認しながら対象を拡大しました。また、ダッシュボード等で成果を関係者間で共有することで、データ活用の有効性に対する信頼が高まりました。
- 外部専門機関の活用: データ分析やシステム構築に関する高度な専門性が必要な部分は、実績のある外部ベンダーやコンサルタントの知見を効果的に活用しました。
結論・教訓
本事例は、都市インフラの維持管理という従来経験や属人的な判断に頼る部分が大きかった領域においても、データドリブンな意思決定が極めて有効であることを示しています。特に、老朽化が進行し、維持管理コストが増大する現代において、データに基づく劣化予測と予防保全計画の最適化は、財政的な持続可能性と公共の安全確保の両立に向けた重要なアプローチとなります。
データ活用によって定量的な成果を出すためには、単にデータを集めるだけでなく、明確なビジネス課題を設定し、その解決に資する分析を行い、得られた示唆を実際の意思決定や施策に落とし込むプロセス全体を設計・実行することが重要です。また、専門分野の知識とデータ分析スキルを組み合わせるための組織体制や、関係者間の密なコミュニケーションも成功の鍵となります。
今後の展望
この自治体では、今後さらにデータ活用の範囲を拡大していく計画です。具体的には、
- より多くのインフラタイプへの予測モデル適用
- IoTセンサーを設置したリアルタイムの劣化モニタリングと予測精度の向上
- 自動点検技術(ドローン、AI画像解析など)から得られるデータの活用
- 修繕工事の進捗管理や予算執行のさらなる効率化
- 住民へのインフラ健全性情報の公開と維持管理活動への理解促進
などが検討されています。
インフラ維持管理におけるデータドリブンな取り組みは、まだ発展途上の分野ですが、本事例が示すように、大きな経済的・社会的なインパクトを生み出す可能性を秘めています。他の自治体やインフラ管理主体にとっても、参考となる重要な教訓が含まれていると言えるでしょう。